土屋 邦雄

指揮者 土屋 邦雄

土屋邦雄のおしゃべりです。

東京生れですが、親父は静岡出身ですから、江戸っ子じゃありません。しかし、気風は、江戸っ子です。
東京芸術大学というのがあります。そこで、ヴィオラを勉強したのですが、他に、打楽器を今村征男、指揮法を渡辺暁雄、管弦楽法を
池内友次郎という、そうそうたる人達から個人指導を受けました。卒業と同時に、同校附属高校で教鞭をとり、又NHK交響楽団には
首席候補として入団しました。

1956年、二人のドイツ人音楽家と知り合うことになったのです。一人は、当時、ドイツヴィオラ界の第一人者ウルリッヒ・コッホ、
もう一人は、いわゆる「大」がつく作曲家、パウル・ヒンデミットです。両氏はぼくのヴィオラ演奏を非常に気に入ってくれ、「ドイ
ツへいけ!こないか!」と言うのです。こうして1957年渡独し、フライブルグの音楽学校でコッホに師事したのです。
ドイツに永く住みたいという気持ちは日本出発の時からもっていたのですが、ぼくの願いを知った師のコッホは、「ドイツで生活する
には、オーケストラに入るのが一番だ」という考えから、なんと世界一と言われたベルリンフィルへ手紙を書いたのです。「私の弟子、
日本人クニオ・ツチヤの演奏を聴いてみてくれないか」と。1957年1月20日が試験日でした…。弾き終わったとたん全楽員のものす
ごい拍手。中央に座っていた、これも「大」のつく指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤンが歩み寄ってきました。強く差し出されたカ
ラヤンの右手を握った時、ぼくはベルリンフィルの入団を確信したのでした。この瞬間にドイツのオーケストラに初めての日本人演奏
者が誕生したのです。以後、ベルリンフィルのメンバーであると同時にべルリンバロックオーケストラの首席奏者、ソリスト、ベルリ
ンフィル八重奏団などいろいろなアンサンブルに属して音楽演奏をしました。そして月日はまたたくまに経ってしまいました。2001
年7月1日のベルリン演奏会は僕の最後の出演となりました。42年5ケ月が僕のベルリンでの音楽生活でした。

その後、年下の友人で、長年N響でヴィオラを弾いていた三原征洋くんの敷いた路線に従い、毎年日本で、指揮を含めた音楽活動を続
けていました。やっとひまになれた、と思ったのも束の間…「FAFオーケストラを“振ってみないか”」という話が持ち込まれました
が、実はこのオーケストラを10年ほど前から定期的に指揮している天沼裕子さんからの提案だったのです。天沼裕子さんは現在、ド
イツ、ヴェルツブルグ国立音楽大学のオペラ科主任教授であり、土屋とは長い長いつき合いがあります。天沼裕子さんとの友情を保つ
ために僕は無謀にも「ja(ヤー)、うん」という返事をしてしまったのでした。FAFオーケストラとは、こういう経過をへて知り合っ
たことになります。

指揮者を見、評価することに興味をもっていた僕は、ベルリンフィル振りに来た何人かの日本人指揮者と若手の外人指揮者を眼の前に
おいて、振り方の批評をよくやっていました。そのために、自分自身ある程度「棒」が振れなければいけないと考えたぼくは、常にス
コアをよみ、そして有名指揮者の振りを再現してみたりしていたのです。教材になった指揮者たちはカラヤン、ベーム、カイルベルト、
ヨッフム、ロスバウト、バルビローリ、クーベリック、クリュイタンス、クライバー、シュミット=イッセルシュテットなどでした。
考えてみると指揮の勉強は、学生時代3年間、師渡邉暁雄からじっくり習ったことが基になっているようです。(しかし、指揮者になろ
う、と考えたことはいちどもありませんでした。指揮の勉強は、あくまでいいヴィオラ奏者になるための手段だったのです。)
ぼくは今、FAFオーケストラの皆さんに、ぼくの今まで培ってきた「音楽」を可能なかぎり提供しています。演奏する皆さんは、緊張
しながらも、楽しみを感じなから、音を響かせています。苦悩しているのは、土屋のみです。……

本日は、FAFオーケストラと土屋の共同作業の結果が、これから皆様のところへとどくことになります。FAFオーケストラの響きをど
うかお楽しみ下さい。

※第32回プログラム 指揮者紹介より(原文のまま)。